ちょっと変わったハロプロファンのブログ、他では聞けない話もあったりします。
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桃缶Blog T・W・O Editionさんの記事を読んで…昨日と同じパターン(笑)
やまびこ状態で書き合うのもなんか新鮮ですね。
さて、本題です。
モラルの低下はもちろん、『自分の周辺だけきれいだったら、それでいい』と言うのは普通に生活していてもよく感じられることはありますね。
ゴミの問題だけじゃなくて、社会全体がそうなっている気がします。
時代の急激な変化によって、世の中には面白いものが増えたり、IT技術の進化によって自動化されたサービスが街にあふれたり、とっても便利な時代にはなっているのですが、物理的に細分化されたとはいえ、人々の心の繊細さはその細分化に間に合っていないということではないでしょうか。
物に使われるという言葉がありますが、時代に人が使われてしまっている感じがします。
みんなで自転車競争をしていて、速く走りたいという欲求から、初めはモーターだったのが、エンジン、ブースターまで付けちゃって(笑)
自分たちの欲求が抑えられないから、時代の変化は急激に加速していくけど、自転車の空漕ぎになった挙げ句、ブレーキを掛けるのも怖くなって「誰か助けてくれないと殺す」って言っているようなものです。
そんなこと言われても誰も助けてあげたくありません(笑)
安全に速く走れる自転車が開発されるまで待つとか、自分に扱いきれないものはあえて使わないとか、危険にならないように自分の技量に合わせた速度で走るとか、そういった繊細さが求められているんだと思います。
一月に「嗚呼、女神たち」さんのブログで“免許”の意味を問うという記事がありましたが、これもそういった大切な意味に通ずると思います。
歩みを止めて冷静に物事を観察し、何が必要なのかを分析すること、とても大事です。
そういう繊細な気持ちを持っている人を見るとほっとします。
今の時代は、他人より得をすることは嬉しいけど、他人より損することには断じて納得しない。
自分が被害者になると正当性を訴えるけど、自分が悪いことをしていると言われると聞く耳持たず。
相手の非には執着するけど、自分の非には無関心。
こんなんで本当に大丈夫なんでしょうか。
ゴミ問題に話が戻りますが、自分だったら「物を作っている人だってそういうところに捨てて欲しいとは思ってないですよ」と問いたいですが、きっと「作ってる人だって売れればいいと思ってるんだから、そんなこと考えてないよ、それにそんな人の意見なんか自分に関係ないし」という言葉が返ってくる気がしませんか?
物に心がこもってなければ、物から心を感じられる人もいない。
自分たちが変わらなければならないと思わなければ、何も変わらないと思います。
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